長安寺 (大阪*天王寺*浄土宗) ~ナムアミダブツ(^人^)~

先日のお十夜法要でお召し上がりいただいたささげ・むかご粥。
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残ったお粥。
処分するのももったいないけれど、しばらく時間が経って糊のようになったお粥。
どうにかしていただく方法はないかと思案した結果、胡麻油をひき、フライパンで焼いてみることに。

出来上がったのは、小麦粉ではなく、お米で作ったお好み焼きのようなものに。
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ソース・マヨネーズを塗ってみたり、チーズを乗せて焼いてみたりして…。

意外に美味しい!
すべてのお粥をいただくことができました。

ところで、お茶碗一杯のお米粒の数は?
約3200粒あるそうです。
一本の稲穂には約80粒のお米粒がついているそうです。
つまり…、一粒のお米には約80粒のお米を生産み出す力を秘めているのです。

3200÷80=40
お茶碗一杯で約40本の稲穂のお米をいただいています。

実りの秋。
一粒一粒のお米の大切さを知り、有り難くお米を頂きたいものです。

当山の二十五世住職
明蓮社照譽上人仁阿教雅豊順老和尚(昭和52年11月13日に遷化)の39回目の祥月命日のご供養を、先の十夜法要で檀信徒と共に勤めさせていただきました。
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私の祖父にあたり、6才の時に亡くなっております。
記憶の中では、
・物静か
・庭掃除を共にさせてもらったこと
・毎朝半熟卵を一つ食べていて、卵の殻についた白身に醤油をおとし、スプーンで食べさせてもらったこと
・お参りから帰ってくると着物のたもとから半紙に包まれたお菓子をもらったこと
などを思い出します。

明治生まれの祖父は、私に「ルマンド」というお菓子を差し出し、このお菓子は「ドンマル」だよと教えてもらったのは懐かしい思い出です。

周囲の方々からは、
・お経が上手であった
・雅楽(龍笛)をしていた
・お酒(日本酒)を美味しそうにいただいた
ことなどを聞かせてもらいました。

昭和9年5月5日 29歳で住職拝命以後昭和52年11月13日まで、太平洋戦争での境内全焼、ジェーン台風での仮本堂・本尊倒壊を乗り越え、戦後復興、本堂再建と大変な時代を43年半にわたり長安寺をお守りいただきました。
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↑本堂落慶法要の様子

今はお浄土から、長安寺の様子を見守ってくださっていることでしょう。

霊前には、好きだった日本酒、バナナ、そしてルマンドを御供えし参詣者にお召し上がりいただきました。
合掌
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毎年のこと、11月になると川西市のT田様から立派に栽培された菊をお預かりし、本尊阿弥陀如来に御供をさせていただきます。
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菊が届くと、いよいよお十夜。
本日、無事十夜法要を勤めることができました。
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お十夜は俳句の秋の季語になるほど、昔は人々に馴染みの法要でした。

あなたうと 茶もだぶだぶと 十夜かな(蕪村)

なんと尊いことでしょう。お十夜にお参りしお念仏をお称えしていると、先ほど飲んだお茶までお腹の中で”だぶだぶ”(南無阿弥だぶ 南無阿弥だぶ)とお念仏をしているではありませんか。
そう、お十夜はお念仏をお称えする法会です。

昔のように、お寺のお十夜に参り、お念仏をお称えし、十夜粥を食べて帰ることも楽しみの時代とは異なり、近頃は何かと娯楽の多い世の中。
そんな世の中だからこそ、唱えるお念仏が尊く有難く感じられます。
『無量寿経巻下』にも「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と解かれています。

皆で読経し、木魚を打ち念仏を唱え、清々しい気持ちで勤めることができました。

お帰りには、秋の味覚、お十夜粥(→おじやの語源です!)と大根焚きをお召し上がりいただきました。
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ちなみに本日の十夜粥は、お寺で採れた”ささげ”と”むかご”の入ったお粥。
海の幸、山の幸ならぬ、寺の幸を楽しんでいただきました。
十夜粥、大根焚きは中風よけ、無病息災のために食される習慣があります。
本日ご参詣の皆様の息災を願います。

南無阿弥陀仏
合掌(-人-)

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